[The following text is the Japanese abstract of my PhD thesis.] [Deutsche Version] [English Version]
1. 研究内容
ドイツ、ハイデルベルグ大学のアロカイ先生の下で、井上ひさしと江戸の戯作文学の関係について博士論文を書いておる。日本の人気作家井上ひさし(1934–2010)はヨーロッパではほとんど知られていない。
そのため、博士論文では、次の作品を詳しく研究したいと思っている。
- 『表裏源内蛙合戦』(劇、1971)
- 『手鎖心中』(小説、1972)
- 『戯作者銘々伝』(小説、1979)
- 『仇討』(劇、1983)
- 『京伝店の烟草入れ』(小説、1973)
私の論文が、ヨーロッパにおける井上ひさし文学への理解、解釈に少しでも役立つことができれば幸いである。
2. 目的
当初の計画では、『手鎖心中』を翻訳する予定だったが、アメリカの学者Christopher Robins氏がすでに英語の翻訳をしていたことが分かりった。従って、博士論文の付録では『手鎖心中』のかわりに、他の作品の一部を翻訳する。博士論文の目的は、上の作品と江戸の戯作文学との関係を比較分析し、それら戯作文学との間テクスト性が井上ひさしの文学にどのような役割を果たしているのかを、明らかにすることである。
何を、どのように借用、引用したか――それを考えれば、井上ひさし文学の特徴がいろいろ明らかになると思うので、その分析を通して、上の作品の解釈案を申し上げたい。
3. 論文の分析方法
長い間、適切な方法を探す中で、使いたい言葉の意味を定義する必要があると感じるようになった。例を申し上げる。
パロディという言葉は、様々な言語においてあらゆる意味で使われている。しかし、一つの言語の中でも異なる意味があることが多いようである。ドイツ語や英語でもそうだけれども、今回は日本語の例をあげたい。『手鎖心中』はよくパロディと呼ばれている。
例一
『江戸の夕立ち』には『手鎖心中』のような黄表紙的パロディは使われない。
小池正胤. 「井上ひさしと江戸 ― 戯作をこえた戯作者」、 国文学解釈と鑑賞 49 、1984.10、p. 46.
例二
一応、山東京伝の戯作の主人公をパロディーとした艷次郎の死までを縦糸に、近松与七(後の十返舍一九)、実は作者自身のパ口ディー を横糸に織りなしている。
松坂俊夫. 「井上ひさし 作品論 ― 手鎖心中」、国文学解釈と教材の研究 19, no. 15、1974.12、p. 172.
ここでいうパロディとはどういう意味だろうか。人やものをばかにすることだろうか。それとも単なる暗示だろうか。具現化だろうか。それははっきり分からないと思う。これは「パロディ」の例だったけれども、他の言葉にも同じ問題がある。
様々検討した結果、フランスの有名な文芸研究者Gérard Genetteに従い、彼の概念を使いたいと思う。Genetteによると、『手鎖心中』は「パロディ」ではなく、「転移」である。
ご指摘したいことががありましたら、ぜひコメントをお書きになってください。
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参考文学
Genette, Gérard. Palimpsests: Literature in the Second Degree. Nebraska: University of Nebraska Press, 1997. 翻訳者Channa NewmanとClaude Doubinsky.
井原西鶴.『西鶴全集七 西鶴諸国ばなし 懐硯』 現代語訳、東京、小学館、1976.
井上ひさし. 「おかしな江戸の戯作者」『洒落本 ・ 黄表紙 ・ 滑稽本』編集者 中村幸彦、 389–404、東京、角川書店、1978.
———『パロディ志願 エッセイ集1』、東京、中央公論社、1979.
———『雨』、東京、新潮社、1983.
———『井上ひさし全芝居』、東京、新潮社、1984.
———『戯作者銘々伝』、東京、筑摩書房、1999.
———『手鎖心中』、東京、文藝春秋、2009.
———『天保十二年のシェイクスピア』『井上ひさし全芝居』2、5–130、東京、、新潮社、 1984.
———『京伝店の煙草入れ』、東京、講談社、2010.
井上ひさし、松井修. 「戯作の可能性 ― 対談」『国文学解釈と教材の研究』、 1973-12、 18 (15): 16–31.
井上ひさし、高橋康也. 「戯作東西 ― 対談 」『国文学解釈と鑑賞 』44, no. 9 (1979.8): 6–20.
Jones, Sumie. “Comic Fiction in Japan During the Later Edo Period.” Dissertation, University of Washington, 1979.
———, ed. Imaging/Reading Eros: Proceedings for the Conference Sexuality and Edo Culture, 1750–1850. Bloomington: The East Asian Studies Center, Indiana University, 1996; August 17–20, 1995.
Kern, Adam L. Manga from the Floating World: Comicbook Culture and the Kibyōshi of Edo Japan. Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press, 2006.
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Olligschläger, Nina. “Shakespeare als interkulturelle Schnittstelle am Beispiel einer kommentierten Übersetzung von Inoue Hisashis „Tenpō Jūninen no Sheikusupia“.” Magisterarbeit, Universität Trier, 2009.
Robins, Christopher. Handcuffed Double-Suicide (unpublished).
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———「江戸生艶気樺焼」『黄表紙・川柳・狂歌』編集者 棚橋正博、鈴木勝忠、宇田敏彦, 85–108、東京、小学館、1999.
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